能登半島地震に被災地に派遣した当院DMATの派遣報告会を実施しました

能登半島地震直後、被災した石川県からの要請に対し厚労省DMAT事務局は静岡県を通じて県内のDMAT指定病院に派遣を依頼しました。

これを受けて当院はDMATの派遣を決定。1月4日(木曜日)から同8日(月曜日)までの県第2次隊に参加しました。

被災地での災害医療支援に従事した当院のDMATは1月18日(木曜日)​、院内で報告会を行い、被災地の状況や救援活動を報告して、南海トラフ巨大地震に備える院内医療従事者らと情報を共有しました。

報告会に出席するDMAT

報告会に出席するDMAT

活動を報告する増田医師

活動を報告する増田医師

当院DMAT派遣隊員の活動リポート

以下は、DMATの院内報告の要旨です。

当院の県2次隊派遣は5人

出発式の様子

出発式の様子

県2次隊の派遣職員は、救急科 増田崇光科長(医師)、手術室 浅野大志主任(看護師)、救急病棟 上澤竜彦主任(同)、医事管理課 柳原巧係長(業務調整員)、放射線科 曽根良介主任主査(同)の5人。

5人は1月4日正午、スタッドレスタイヤを装着した車両2台で当院を出発。道中、道路情報や先発隊の情報を入手しながら走り続け、夜8時に富山県高岡市の高岡駅前のホテルに投宿しました。

活動拠点本部の様子

活動拠点本部の様子

5日は午前6時半にホテルを出発し、1時間余りで石川県七尾市の公立能登総合病院内に開設されたDMAT活動拠点本部に入りました。この地域は能登半島富山湾側のほぼ中央部に当たります。震度6強の大揺れで被災し、あちこちで道路がひび割れ、病院内の天井や壁も剥がれ落ち、停電が続いていました。しかし、同病院は4日から外来を再開するなど医療従事者が献身的な努力をしていました。

DMATはまだ輪島市や珠洲市で救援活動を始めたばかりで、活動拠点本部の機能も充分ではなかったようです。

被災地での活動開始

到着2時間後に私たちの活動内容が決まり、本部活動班(2人)、避難所アセスメント班(3人)に分かれてさっそく被災地での活動を始めました。

「本部活動班」は他病院の隊員と組んで続々到着するDMAT隊の受け付け業務などに携わり、「避難所アセスメント班」は車で半島を横断し、西海岸の志賀町にある酒見構造改善センターと西浦防災センターの2カ所の避難所を訪ねました。

途中の道路は至る所で亀裂、陥没、土砂崩れがあり、倒壊した家屋や崩れた塀もありました。交通情報を常に確認し、路面や周囲の状況に気を付けながら避難所へ向かいました。

被災した道路

被災した道路

被災によりストップした電車

被災によりストップした電車

避難所アセスメント

酒見構造改善センターは町の指定避難所ではないため行政の支援は同日限り。傷病者は既に近隣の病院へ搬送され、ボランティアや消防団が避難者の移動を進めている最中でした。

西浦防災センターは北陸電力志賀原子力発電所(運転停止中)から直線距離で10数キロと近く、原発災害用の避難施設です。

収容人数100人を想定したこの施設内には、発災直後330人ほどが押しかけ収拾がつかなかったといいます。私たちの訪問時には避難者の数は減り、50人余りが避難生活を送っていました。うち16人の近隣の介護施設入所者は、施設内の会議室に収容されていました。その他の避難者は小学校の体育館ほどの広さの室内にいましたが、パーティションの区切りもなく、土足禁止措置もできていません。電気は来ていていますが、水道は断水中のためトイレや手洗いは近くの井戸水を利用していました。毛布など防寒具も不足していましたが、自治体はまだ対応しきれていませんでした。

避難所(酒見構造改善センター)

避難所(酒見構造改善センター)

避難所(西浦防災センター)

避難所(西浦防災センター)

西浦防災センターでは介護施設の看護師さん(70歳代女性)が衛生管理を担っていました。新型コロナウイルス感染症やインフルエンザの感染を警戒し、配膳や周辺環境の消毒などを徹底するよう指導していましたが、手袋や消毒薬も少なくなりつつありました。

それまでのところ衛生管理、感染症対策は徹底されている印象で、ただちに医療介入する事案はありませんでした。

看護師さんは「高齢者や認知症患者も多く苦労している。自分もボランティアの人も高齢で発災直後から全く休養できていない。そろそろ体力が限界なので交代してほしい」と訴えていました。

スタッフの疲労の色は濃く、感染症拡大のリスクも高いため、避難所アセスメント班は早期の保健師の介入が必要だと感じました。

公立能登総合病院帰着は午後5時。本部活動班と合流して本部ミーティングに参加し、現状分析と課題、活動方針を話し合いました。高岡市の宿に戻ったのは同8時でした。

DMAT活動拠点本部での活動

6~7日の2日間、本部活動班2人は引き続き受け付け業務などに従事し、残る3人はロジスティック(兵站)班や連絡係として本部業務に回りました。午後5時のミーティング後、今後の隊に伝える業務内容を整理して本部夜勤担当に引き継ぎ、両日とも同8時半、高岡市の宿に帰着しています。活動最終日の7日には当院から持参した飲用水や生活用水は本部に寄贈しました。

本部での活動の様子1

本部での活動の様子1

本部での活動の様子2

本部での活動の様子2

DMAT活動拠点本部が機能するようになり物資輸送や搬送調整・病院避難の活動準備が整ったのは7日ごろです。降雪などの天候不順による妨げもありDMATが活動可能なミッションはそう多くはありませんでした。

輪島市、珠洲市での病院支援指揮所、役所でも保健医療調整本部が設立されて指揮体制が変更され、穴水町、能登町、能登島(七尾市)が公立能登総合病院DMAT活動拠点本部の指揮下になりました。

中長期的な支援と巨大地震への備えを

最終日の8日は高岡市のホテルを午前8時半に出て、午後4時過ぎに藤枝市立総合病院に帰着しました。

8日以降、天候が回復し、物資搬送や病院支援活動がスムーズに進むようになりDMATのミッションも多くなりました。避難所生活や被災者の生活は今後も中長期的に支援が必要と考えられます。

南海トラフ巨大地震が発生した場合には、当院に志太榛原二次医療圏のDMAT活動拠点本部が設置される可能性があります。DMATの連携組織として日本赤十字社なども本部内に入るため、十分な本部スペースや体制を整えるよう今一度検討が必要だと思われます。

報告会を傍聴した北村正平市長はDMAT隊員を慰労するとともに、「被災地で支援活動をしている人たちへの支援も重要だと感じています」と後方支援の大切さを強調しました。

DMAT隊員を慰労する北村正平市長

DMAT隊員を慰労する北村正平市長

この記事に関するお問い合わせ先
藤枝市立総合病院

住所:静岡県藤枝市駿河台4丁目1番11号
電話番号:054-646-1111(代表) ファクス:054-646-1122


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更新日:2024年02月09日